
話を心で聞くようになり、それに対する自分の気持ちをきちんと言ったり、書いたりできるようになりました。これは、その後の息子にとって、とても大事なことだったと思います。また、クラブ活動を通して、どんなに下手でも、厳しく苦しくても、逃げないで必死で頑張ればできるということを身をもって会得してくれました。
高校に入ると、いままでの難聴学級という温室から外にほうり出され、言葉も発音が悪く、きちんと通じなく、最初は随分と悩み苦労したようです。しかし、学園祭、アッセンブリー、人権学習などで随分と発表の場を与えてもらい、自分の考え方生き方を発表する中で、人への思いやり、優しさ、人前で話すことへの自信などを確実なものにしていったようです。
また、クラブの部長を務めたことで、他校の生徒との交流を通じて一段と逞しくなりました。高校三年生の四月、自然気胸で入院し、一ヵ月半の入院生活に本人は随分とあせりを感じていたようです。退院してからもすぐには体力がついてゆかず、大学受験に向けての二学期からの頑張りは見ているのが辛くなるほどでした。私立の大学に合格したとき、私はこの大学に行ってくれればいいと思いました。でも、本人は筑波技術短期大学を目指したのです。念願の大学に入り、楽しい学生生活を送り、在学中に行ったアメリカ研修旅行でまた一段と成長し、いい経験と思い出を作りました。
就職も第一希望の三菱電機に決まって本当に幸せだったと思います。ただ、就職して、苦手な英語と国語をもう少し頑張っておけばよかったと後悔し、遅まきながら、知識と言葉を増やすために毎日、読書を欠かさないようにしています。これからも、多くの困難や悲しみが待ち
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